[あてなよる]AGAIN

酒の肴(さかな)のことを日本人は愛情を込め「あて」と呼ぶ。酒にあてがうもの、酒の味を引き立ててくれる伴奏者。極上の「あて」と酒でたのしむ大人のエンターテインメント。

[あてなよる]のコンテンツの冒頭に書かれている一説である。料理研究家の大原千鶴、ソムリエの若林英司が織りなすNHKの番組だ。惜しむらくは新しい番組が登場しない。それがとても残念だ。[あて]について十分伝わる一節である。酒と肴の相性を考えるあなたにとって、きっと役立つ番組だと思う。

ここ暫く、肴を邪魔しない酒、端的に言えば[食中酒]に拘ってきた。新潟の酒、そのレベルの高さには改めて関わってきた人たちに敬服する。ただ、それでも、酒質のレベルは何でこんな酒が造れるのかということで、上も下も言い落ちる。

拙い酒はトコトン拙い。なぜ、このご時世に、こんな酒を醸さないとならないんだと思えるものから、この酒を毎日飲むことができたらと思うものを経て、この酒でこの価格は勿体ないと思わせるものまで、その縦軸のレベル差は大きい。

なぜ、そうなってしまうのか。造り手のファイティングスピリッツの違いということで片付けてしまうこともできよう。しかし、それだけでは無さそうだ。

分度器で一度の違いで同じ起点から1000m進むと17.455mの誤差が出る、そうだ。一度の違いを起点で見分けることができなかったとしても、1000m先では歴然の差となる。最早、誤差のレベルではない。間違いのレベルである。

モノを創る時は、まあいいかという台詞を何度言ってしまうかで、その制度に差が出る。酒造りも同じだ。幾つものプロセスを経て、米と水と酵母と醸す人の労苦によって銘醸酒となる。時間も長い。何回かはまあいいか、仕方ないという言葉が出ているかもしれない。それが銘醸酒と駄酒、悪酒となる。僅か1000mで17.455mの誤差であるのだから、当然のことだろう。

もうひとつは、その酒が良い酒だと思っている。つまり、ベターという途中経過ではなく、ベストという結果としているのである。残念なことだ。人生は長い。先を閉じてしまう必要はない。

あての世界も同じ。旬の素材を使うことも、敢えて戻りを使うことも、料理人という創作者の想像力がなし得るもの。その一興に一献を捧ぐ今宵の一杯。ベターな結びつきを楽しめたら嬉しい限り。

夜の帳が下りる頃、酒が恋しくなる。その酒も、お気に入りの酒ならばなお佳い。知恵比べには知識が必要だ。何度も書いてきたが、酒の世界は数を飲むしかない。そのためにも[多摩独カタログの会]をお使いいただければと思う。

4月16日(日)、第83回多摩独カタログの会。いつもの時間、いつもの場所で、43蔵の蔵元、老舗の煎餅本舗と共にお待ちしている。

おいしい酒が好き!

なぜ日本酒が好きなんだろう?